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2022/09/17 13:36



2021年の秋〜冬にアノニマ・スタジオから刊行された2冊の本。

『家族カレンダー』と『サスティナブルに暮らしたい』。

それぞれちがうテーマの本のようで通じあう部分がある2冊。


田舎暮らし、家族、エコライフ重なるキーワードをもとに、神保町ブックセンターで、1211日にトークイベントが行われました。 

高知に暮らす服部雄一郎さんとオンラインで繋がり、行われたこのトーク。振り返ると「エシカルな暮らし」を考えるヒントがたくさん詰まっていたので、

数回にわけて全文を公開したいと思います。





第一回

キーワードは「不完全」?

 

中村

11月に『家族カレンダー』という本を出した中村暁野といいます。この本は2016年から自分のサイトで書き続けてきた日記をもとに作った本で。もともと『家族と一年誌』という、ひとつの家族を一年間取材して一冊まるごと一家族を取り上げる、という雑誌を自分の家族と作っていて、その『家族と一年誌』のサイトで日記を書いていたんです。365日書く、と決めて5年以上、今も書き続けています。日記を書くことにどんな意味があるのかわからないまま、でもどこかでは大きな意味が絶対にある、という確信のようなものを抱え書いていました。今回本を作ることで、個人的な日記を書き続けること、形にすることの意味をやっと捉えられた気がしています。

当たり前に家族って変化していくものだと思うんですけれど、この本の中でも幼児だった娘が小学校高学年になったり、存在していなかった息子が生まれたり、東京から田舎に引っ越したりとわたしたち家族の変化の過程が記された本でもあります。そんな感じですかね。では服部さんの本の紹介をお願いします。


 

服部さん(以下、敬称略)

こんにちは。服部雄一郎といいます。高知県の香美市香北町という所に住んでいます。もともとは首都圏に住んで都内で仕事してという暮らしをしていたんですけれど、ここ数年は高知で翻訳の仕事をすることが多くなっています。分野としてはエコなライフスタイルを紹介する本、ゼロウェイストとかプラスチックフリーとか、ギフトエコノミーとかそういったテーマの本を翻訳しています。なんでそんな仕事をするようになったかというと、神奈川県の葉山に住んでいた時に町役場に勤めたら、たまたまゴミ担当職員になった。環境意識がまったくなかったのに、ゴミ担当になってゴミ問題を知った。それでこんな人生になっていって、面白いな、という感じです。もともと勤め人だったのが今は自営業で、今回妻と一緒に『サスティナブルに暮らしたい』という本を作りました。エシカルでギフトエコノミーな暮らしができたらいいな、と取り組み、ただ現実には難しさもある。うちも子どもが3人いたりもあって、思うようにいかない部分もありつつ、そんな中での暮らしを本にさせてもらいました。今日のトークは僕一人ですけど、本は妻との共著です。今までは翻訳をしていたけど今回は初めて自分の本ということで、大きな一歩をいただいたな、と思っています。


 

中村

そしたら、まずお互いの本の感想を言い合うということなんですが

 

服部

はーい。じゃあ、まず僕から感想話しますね。

『家族カレンダー』の感想、長々と(笑)。こういうトークイベントって有難くて、でもお互いをほめあう馴れ合いみないなのって嫌だなって警戒してしまうタイプなんですけど、すみません。絶賛させてもらいます(笑)。

中村さんのことはオンラインで記事を読んだり、存在は知っていたけれど、もともと日記を読んではいなくて、言ってみれば他人の家族の日記。それも300P以上の分厚い本になっている。形式だけ聞いた時は、人ごとに感じちゃうんじゃないかな?と思ったんです。でも読み始めたら1P目からどんどん読んじゃって、数ページ読んだらもう自分の家族みたい。もちろん家族を大切にする、とかの思いはありつつも、家族という不完全さを「ありのまま」って言葉だとすくい取れないくらい、真摯に、そのままに炙り出されていて、とても共感をおぼえました。

いろんな読者の方がいると思うんですけれど、それぞれが共感できるんじゃないかな。それで、昨日中村さんがHanakoママwebで本を紹介する記事を出されていて、その記事がとても良かった。今まで中村さんは音楽活動とかもされてきて、言ってみればメディアに紹介されるような「表」の顔をお持ちの暮らしをされてきた。その中でいろんな葛藤を抱えたりされてきて、Hanakoに書かれていたのが「B面」っていう言葉。

「家族カレンダーはB面を綴る本なんです」と紹介されていたのがすごく腑に落ちる感じで。僕がいうまでもないけど、人生ってきれいごとじゃ済まなくてみんな折り合いをつけたり、ひた隠しにしたりして生きてると思うんです。そこに真正面から向き合うって、けっこうな勇気とパワーがいることだと思うし、それをほんとにやり遂げている本なんだと思います。でも実際見ると日記のひとつひとつは、すごく短い日記なんですよね。書かれているのも些細なトラブルだったり困ったことだったり、ちょっとした幸せだったりが連ねられている。だから逆にはっとしました。こんな、見方によっては「どうでもいい」くらいの些細な話が積み重なると、こんなにも実感をともなう大切なものになるのか、という感覚が、自分の生活にも投影されて返ってきた。だから、すごく大切に感じて、感謝しながら読みました。



 


中村

ありがとうございます。それじゃあわたしも、服部さんの本の感想を同じ熱量でお伝えしたいと思います(笑)。

もともとわたしは服部さんが翻訳されてきた本も読んでいて、サイトも見させてもらっていました。それで、今回近い時期に本を出版することになって、編集の方や服部さんご本人にも「服部家と中村家は似てるところがたくさんあると思います」と言っていただいた時、もう恐れ多いわ〜〜〜!という感じだったんです。でも『サスティナブルに暮らしたい』を読ませていただいて、ちょっと本当に自分の家族と重なって見えた。というのは、この本はサスティナブルな暮らしをしていくための具体的な方法が書かれていつつ、そんな暮らしを目指しながらも完璧にはいかない、リアルな暮らしの姿も記されていて。予想外にも読みながら何度も笑ってしまったったんです。

いわゆるエコライフ、みたいな本や情報を見る時に感じる『こんな暮らし、とてもとてもできないわ〜』という劣等感というか、罪悪感というか、そういったものを感じずに読める本だったんです。わたし自身もエシカルをテーマに連載をさせてもらったり、実際にこの本に書かれているようなことで取り組んでいることもたくさんあって、でも時々すごく投げやりな気持ちになってしまうことがあるんですね。「こんなことやっていて意味あるのかな」とか、ただ単に自分の欲に負けることもありますし。でも『サスティナブルに暮らしたい』では「完璧」ではない姿も描いてくれていることで、読んだ人がこういったエコライフを志し発信している人たち誰しも「完璧」じゃないんだな、自分と同じなんだな、と思える気がして。だから挫けそうになった時は、これからいつでもこの本を開きたいと思いました。あと、わたしは本の一番最後に書かれていたことが一番ズシンと来て。「環境問題はもう待ったなしの状況で、でもそんな中でも今日はまだ空は青くて、幸せを感じてそんないずれは環境破壊によって失われてしまうかもしれないささやかな瞬間に幸せを感じることを大切にしたい」というようなことを書かれていたじゃないですか。前向きさと、切実な危機感と、どちらもわたしたちは常に抱えて生きていかなきゃいけない、そんな時代なのだと思うし、この本はその両方を強く感じられる本だと思いました。


 

服部さん

はい。今暁野さんが言っていたようにこの2冊、深いところでは通じる本だなって思っていて。キーワードは「不完全」?(笑)不完全な現状を受け入れると先に進めるってあると思うんです。世の中に成功例が溢れてて、こうしなきゃいけないという情報が日々入ってきて、そうなりきれない自分を責めたりっていうようなことはもちろんあるんです。でも完成形を目指しがちな現代で、最後まで完成に至らないかもしれないけど、そこに至るまでをどう受けいれて進んでいけるのか。、

僕の本のテーマはサスティナビリティ、暁野さんの本は家族というテーマが描かれているけど、そこに浮かび上がっているものはとても似た色合いな気がします。

で、具体的な話なんですけど暁野さん、エコな生活の工夫もされている。

もともとはそういう意識はどこから始まっているんですか?

 

中村

一番最初は、20歳くらいの頃、1日で食べたのはチョコだけみたいな暮らしをしていたら体調がずっと悪くて。それで食べることを見直したのがきっかけです。食って環境問題にすごく繋がっていることじゃないですか。そこから入って、でも大きく意識が変わったのは東日本大震災があったことですね。社会の中に生きていることを痛感したし、その中で自分がしてきたこと、してこなかったことに猛烈な後悔を感じて変わりたいと思いました。で、それが葛藤のはじまり。結婚して、出産して、すぐ東日本大震災が起きて、わたしは「今変わらなきゃもうダメだ!」と思い詰める中、そんな危機感を持っていない夫と溝と感じて孤独感を高めてました。ありがちだと思うのですが夫婦の危機でした。でもそんな時間は数年間続いたのが今の自分に繋がる大きな経験だったと思います。

 

服部

本でも書かれてましたよね。夫である「ひょーさん」にもう無理だ、と伝えたら寝耳に水って感じだったって。

 

中村

夫婦でよくある受け止め方のズレですね。

 

服部

家族もいて、家もあって、客観的に見たら何も不足ないはずなのに、苦しくなってしまう自分、ということに向き合われたことが大きなきっかけだったんだな、と読んでいて思ったんです。

僕自身は東日本大震災時は子供を連れてアメリカ留学中でした。だから当時日本にいた方々とは感じたことがまたちがうとは思いますが、あの時日本に帰れなくなるかも、という感覚を初めて持ちましたね。アメリカは移民の多い国だし、自分たちも移民の方に囲まれて暮らしていたけど、自分達も、もしかしたらこのまま日本に帰れなくなってしまうのかもしれない、という人生観のゆらぎを初めて体験しました。

でもそのことは、どこかに就職してっていう、それまで当たり前に思っていたのではない、ちがう未来を想像しようとする伏線になったのかも、とも今では思っています。

 

中村

当時は同じ基準で物事を見れる夫婦が心から羨ましかったんだけれど、今はそうではなかったことがとても良かったと思えるようになりました。自分の中に「理想の社会」「理想の自分」が明確にあって、そうじゃない夫を認められないような気持ちだったけれど、描く理想通りにいれない部分って、実は自分の中にもたくさんあったんですね。子どもに食べさせない!と思ってるジャンクフードを夜中に貪り食べたりするような。でもそんな自分を夫にも、誰にも知られたくなくて、ゴミ箱の底の底に空袋を隠したりするような自分。夫は良くも悪くも偽りのないタイプなのでそんなわたしの横で堂々とエナジードリンクプシュ、ごくごく〜〜みたいな。「はあ?!」とかわたしはなるわけなんですけど(笑)。

自分の中で、さまざまな場面で面と裏があって、そんな自分を認めたくない。そういう思いがありました。でも不思議と自分とちがう夫を認められるようになったら、「理想」とはちがう自分のことも認められるようになっていってた気がします。子どもに対しても、「理想」の部分だけで接しようとして、自分の描く正しさをおしつけがちだったと思う数年の間で、真逆な人が父としていたことが子どもの逃げ道になっていたような気もしています。

 

ちがいこそ、意味がある

 

服部さん

夫婦がちがうことが逆によかった、というの、すごく共感します。

環境問題界隈でよくあるのは、妻のほうが意識が高まって、夫はなびかなくて、 折り合い悪くなって離婚...。わりと聞く話です。もちろん離婚して新しくお互い幸せだったらそれはそれでいいのかもしれないけれど、家族の結びつきみたいなところでは残念さも感じる。

でもオーガニックとか環境意識とかに限らず、ちがいこそが何か意味がある、と視点が変わると、変化がある気がするんですよね。

 

中村

震災後、社会をよくしたいと思っても何もできない自分に無力感がありました。でも、その時に家族と向き合うって社会活動なのかもって思ったんですね。わかりあえないと思った夫がそこにいてくれたからこそ、家族って最小単位の社会で、わからないもの同士が築いていける何かを見つけたいと思えたんだと思います。

 

服部

家族は社会のミクロの構図ですよね。ちがう人同士が折り合いをつける道を見つけるということの延長線に、社会の平和も見えてくる。

環境問題も同じだと思います。環境問題に意識がある人は、思わずみんなやってくれないとこんなんじゃうまくいかない、と求めがちになってしまう。でも現実に環境問題にスッと難なく取り組めるのは一部の人だけだと思います。うまくいく人だけが取り組んで変わっても、社会は変わらない。うまくいかないだろう要素を抱えた多数の人がアクションを起こし参画していけるようにならないと社会は変わらないんですよね。こうありたい、という思う気持ちは真実で、でもままならない現実がある時に何ができるのか。

 


第二回につづく