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2023/03/06 17:58



3月。
もうすぐ卒園式を迎える息子さん。元気に6歳の春を迎えられたことに感謝しつつ、
残り少ない保育園生活を噛み締める(親が)真っ只中、ふと思うことを書いてみようと思います。

もしかしたら最近の6歳さんにはめずらしいのかもしれないですが、息子はまだ字が書けないし、読めません。
幼児期は五感を通して感じること。
それが健やかな身体つくりにつながる。
アタマという一部だけに働きかけすぎる(字や数を教える)必要とくになし。
という1歳から通ってきたシュタイナー園の方針(ザックリすぎですが詳しく書くと本題とずれるので、ザックリ)は、わたしとしては共感できることが多くあり、なので字を習うとか数を習うとか、というか、なにか「答え」を教えられることは、まだ未体験の息子。
子どもたちが何かを聞くと「なんでだろうねえ?」と返事する、決して答えを言わない先生たちの姿をこの6年何度見たことか。

いつも、ちいさな冒険を保育園でしていたと思います。
冒険って答え、ないじゃないですか。
自分で進んで、何かと出会い、驚いて、考えて、また自分で先へ向かう。
毎日なにか見つけて、そこで考えて遊びを友達と作ったり、広げたり、冒険っておおげさな。
って感じかもしれないですが、見つけたもの出会ったものに、心を動かし、感じて、自分で動いた。
そんな保育園での毎日は小さな身体と心には「冒険」だった、というのが一番ぴったりくる気がするんです。

不思議だな?なんでだろう?
そんな気持ちが湧いた時、スマートフォンひとつ、タブレットひとつで「答え」がわかる。
ほんとうにちいさな時から「答え」をすぐに手渡されることが当たり前みたいになっちゃった、わたしたちの暮らしの中で、
そこからはちょっと離れて、幼児期を過ごせた6年は、息子にも、わたしにもとても大切な時間だったと思います。

そんなことを思いつつ「くんちゃんのもりのキャンプ」という絵本を読んで思うことを今日は絡めて書きたいです。



まずは簡単に絵本のストーリーを書きますね。
(くんちゃんという子熊の男の子が主人公の絵本シリーズ。はじめて読んだのは「くんちゃんのはたけしごと」というお父さんの畑仕事を手伝おうとする本で、こちらも最高なのでまたの機会に紹介したい)

ある日、くんちゃんは少し年上の従兄弟のお兄ちゃんに誘われ、ふたりで森へキャンプにでかけます。
お父さんとお母さんに見送られ向かった道々で、小さな出会いと発見を重ねるくんちゃん。
ですが、くんちゃんの発見は年上のお兄ちゃんからしたら「もう知っている」上に「まちがっている」ことばかり。お兄ちゃんは毎回助言しますが、くんちゃんは自分の発見にしたがって行動して、まんまと失敗。そのたびやりなおし。でも、やりなおすのも楽しそうなくんちゃんです。帰り道もお兄ちゃんの助言にしたがわず、自分の信じたマイウェイを進みます。お兄ちゃんは「ヤレヤレ」といった面持ちで見守っていたのですが、なんと帰りは......。

と、そんなおはなしです。



読むと息子はケタケタ大笑い、くんちゃんの可愛さに大人はニンマリ。
しつつも思わずページをめくる手を止めてちょっと考えてみたくなる。

この「くんちゃんのもりのキャンプ」には「自分で発見すること、体験すること」のキラメキがそりゃキラキラと描かれています。
このキラメキの前では「答えを教える」意味はかすんでしまうし、たとえ失敗しても自分で動いて自分で感じたものが力になる、ということを伝えてくれているようにも思えます。

それから「見守ること」の大切さもまた、ひしひしと。
しょっぱなからして、子どもだけで森へキャンプに行くのを許す父母...。むりでしょ ...と、思いますが見送る背中からは「だ...だいじょうぶかなあ」「だいじょうぶ...きっと...!」という心の声が伝わってこないこともない気もしますし、描写されていないだけで茂みに隠れて子どもたちを見守っている ...のかもしれません。
きっとぐっとこらえて、子どもが出会う世界を尊重してる。

大人の手や言葉から離れた世界で、子どもが出会えることってあるんだよねって気づきます。

息子が友達と遊ぶのを見ていたって、
そのあまりの大胆さについ口を挟みたくなったり止めたくなったりしてしまうこと多々だけど、
こちらからしたら無謀と思えることや無駄と思えることの中に、彼らの出会いと発見、小さな冒険のキラメキがつまってる。

危ないものや怖いものから守ってあげることはもちろん大切なことだけど、でもおんなじくらい子どもが自分の力でこの世界のいろんなことに出会うのを、じっと見守ることも大事なんだと思います。
何もかもから守りすぎることは
自分が持つ「答え」をすぐ安易に手渡しちゃうこととどこか似てて、
余白がなくて、短直で、遊びがない。
最初からひとつの「答え」ありきで、その「答え」に向かって、「答え」に合わせているような、そんな感じがします。

でも今がんじがらめにされている(気がする)当たり前でフツーに正しい、これが「答え」でしょ、っていう世の中のいろーーーーんなこと。
それらは、もしかしたら、いえ、もしかしなくてもこの先ガラリと崩れて大きく変わっていく。
変わっていくしかない、そんな世界をこれから息子たちは生きていくのだと思います。

きっと簡単に答えなんて出せない、難しい世界の中を生きていくしかない。
でも、どんな世界だとしても、どうにかこうにか楽しんで生きていってよね、と思うんです。

どんな時も前を向いて、楽しんで、
ズンズン生きていける力がほしい。(わたしもほしい)

自分で出会って、自分で作って、自分で見つけたものを、いっぱいためた。
今現在、息子の歩く後ろ姿からはズンズンズンズンって音が聞こえてきそうなくらいに
生きてるなあって思うんです。びっくりしちゃうくらい、ズンズン。
くんちゃんみたいに、ズンズンです。

毎日の小さな冒険が、息子のズンズンを育んでくれた、と思います。心から、感謝です。

もう6歳。
でも6歳。

少しずつ少しずつ、場所も時間も変わっても、心広げて、
息子の冒険がズンズン続きますようにって願います。

どんなタフな冒険も、ズンズンズンズン。

その姿をずっと、横目で見守りながら(横目じゃないと口出し手出ししすぎちゃうんでね)
わたしも、がんじがらめの「答え」をひとつずつ解きながら、負けじと、
出会って発見して、冒険、したいって、思いますよ!

写真は、この春の息子のズンズン冒険セット。
冒険の様子は、またコラムに書きたいと思います。